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2014年5月

2014年5月28日

草原の海


僕らは、だだっぴろい草原にいる。見渡す限りの草原。360°どこを向いても見渡す限りの草原。草原と雲しか見えない。あとは、君の背中。草原って言っても、背丈ほどある草が生えてるわけではなくて、かと言って、芝生みたいな感じでもなくて、腰よりちょっと高いくらいの、走ったら足にからんじゃうくらいの、そのくらいの丈の草。それが、見渡す限り一面に茂っている。そんな場所。僕らはその草原を走っている。結構なスピードで走っている。だけど僕は君ほど全速力では走っていない。全速力で走ったら、僕はたぶん君を追い越してしまうだろう。僕は、君の背中を見ながら走っていたかったから、少しだけセーブしながら走った。ふたりして、ワーッとか、キャーッとか、ウォーッとか、わけのわからない叫び声を上げながら走った。最初ははしゃいでいたのだけれど、強い風が吹いていて、風の音も結構凄かったから、どんなに大声出しても声がどこかに届いてる感じはしなくて、だんだん不安になっていった。途中からは声を出していないと自分が消えてしまいそうな気がして、不安を打ち消すために無理に大声を出した。たぶん君もそうだったんじゃないかな。ものすごいテンションではしゃいでるようでいて、実のところ、ものすごく悲壮感漂う、鬼気迫る感じだった。あとから考えるとね。とにかく、そうやって、僕らは走っていた。大声を出しながら。全力で。または全力に近いスピードで。君が先を走っていて、僕は君の背中を見ながら走っていた。とは言っても、ふたりは近い距離を走っていたわけじゃないんだ。なんといっても、見渡す限りの草原だからね。距離が近いほうがなんだか不自然な感じで。かろうじて姿が確認できて、かろうじて叫び声が聞こえるぐらいの、そのぐらいの距離は離れていた。縦に、じゃなくて、斜めに。あ、そうそう、なぜだか分からないけど、僕らはその草原を斜めに走っていた。見渡す限りの草原だから、縦も横もあったものじゃないんだけど、僕は確かに斜めに走っていると感じていた。なぜだろう。強い風を斜めに受けて走っていたからかな。でもなんで、追い風に乗るでもなく、逆風に真っ向から逆らうでもなく、斜めの方向に走ったんだろう。目的地があったわけでもないのに。不思議だ。とにかく、僕らは斜めに走っていた。草原を。草原の海を。これまた不思議なんだけど、草原とは言ったものの、僕がそのとき見ていた風景は、草の色じゃなくて、海の色だったんだ。緑色じゃなくて、ちょっと紫がかった、そんなに明るくない蒼い色。そんなに濃くもなかった。色が濃くないというより、色の密度が濃くない感じだった。そこに沈みかけている夕陽の、強烈な赤い色が混じって、この世の終わりみたいな、そんな風景だった。風が強かったから、背丈のそんなに高くない草たちも妙な角度に倒れていて、それを斜めに分け入って僕らは走った。あれ、 いま思い出すと、記憶の中でそのとき、僕は何の音も聞いていなかったな。ふたりの叫び声も、風の音も、風に吹かれてなびいている草の擦れる音も、走っている自分の激しい息づかいも、もちろん聞こえていたはずだけれど、記憶の中では無音。無音の中で聞いている、そんな感じ。理屈じゃ変だけど、なんか、そんな感じ。とにかく、僕らは、見渡す限りの草原を、斜めに、無音の中、全速力で、走った。ずっと走り続けた。夢の中だから、僕も君もすごい体力でね。疲れはしたし、当然息は上がっているんだけど、でも現実では絶対こんなに走れないよ、ってぐらいには走った。沈みそうな太陽が沈まなかったわけだから、大した時間じゃないんだろうけど、とてもとても長い時間を走った気がした。走っている間に、僕と君との距離は離れたり近づいたりした。縦にも、横にも。でもなんとなく、これ以上近づいたら変だって距離があって、これ以上離れたら見失うって距離があって、その間の距離を行ったり来たりした。僕はいつでも君のうしろを走っていたから、主に僕が、その距離を調整していたんだけどね。君は僕にはお構いなしに走っていっちゃうから、僕がどこかで止まったり離れていっちゃったりして、この草原の中でひとりぼっちになっちゃってもいいのかなって思ったりもしたけど、実際そのことを想像して妙に加虐的な気分になったりもしたけど、でも、そんなことになったら僕が困るからやめた。結局、僕が距離をコントロールしているようでいて、実は僕を通して君が距離をコントロールしていたのかもしれない。そう思うと、少し、頭が、混乱した。とにかく、そうやって、僕らは走った。走って、走って、走り続けた。そして、ある瞬間、僕らは、唐突に、走るのを、止めた。止まった。その瞬間に何か特別なことが起こった記憶はない。体力の限界でそれ以上走れなかったというわけでもない。もちろんどこかの目的地に辿り着いたわけでもない。太陽は相変わらず沈みそうなまま真っ赤に輝いていたし、風は相変わらず強く斜めに吹きつけて、草を妙な方向に曲げていた。もしかしたら止まった瞬間、一瞬急に風が強くなったとか、向きを変えたとか、そんなことがあったのかもしれない。覚えていない。でも、なんにせよ、止まったあとは、また元の風景に戻っていた。僕たちは草原の海の中でしばらく立ち尽くした。相変わらず、聞こえるはずのあらゆる音は、実際には聞こえなかった。無音の中に、あらゆる音が聞こえた。僕はなんというか、神聖な心持ちがした。おごそかな感じ。厳粛な感じ。さっきまではいつまででも走っていられると思ったけれど、今度は、いつまででもそこに立っていられる感じがした。そして実際、かなり長い時間、そこに立っていた。示し合わせたように、君も止まった場所で動かずにただ立っていた。僕のほうを振り返りもしなかった。僕を呼びもしなかったし、僕も呼ばなかった。ただただ、ふたりしてその場で立ち尽くしていた。僕はたまに、君の背中を見た。背中を見ながら走っていたのに、なぜだろう。止まった場所で進行方向をまっすぐ向くと、ギリギリ君は僕の視野に入らなかったから、ほんの少しだけ首を左に動かして(君は左斜め前方にいた)君の背中を見た。不思議なことに君がどんな服を着ていたかを全く思い出せない。髪がさらさらと風になびいていたことは覚えている。とにかく、そうやって、僕らは、ただ、立っていた。その間、僕は何も考えていなかった。目の前に広がる草原の海をぼんやり眺めて、無音の中に聞こえる風の音や自分の呼吸する音を聞いて、シャツの中で止まることなく流れ出る汗を感じて、ただ、そこに、立っていた。そして、視界の外にいる君のことを、意識したり、忘れたりした。君のことを実際に見る間隔はどんどん長くなっていた。なんというか、首を少し動かすだけでも邪魔な動きのような気がしたし、君も同じようにそこに立っていることは分かっていたから、実際に見る必要を感じなかった。そして、かなり長い時間、君のほうを見ないままの時間が過ぎた。風は次第に弱まってきた。太陽は次第に沈んで暗くなってきた。流れ出た汗が冷えて急激に寒くなってきた。僕はハッと我に返り、君のほうを見た。太陽が完全に沈んでしまったらはぐれたままになってしまう。とりあえず触れられるぐらいの距離にいないと心配だ。僕は、少しだけ首を動かして、君のほうを見た。君はいなかった。君は消えていた。隠れられるところなんてどこにもない。見渡す限りの草原だ。あり得ないとわかりつつ、違う方向も見た。360°確認した。君はいなかった。あちこち確認したら、もともとどっちを向いていたのかわからなくなった。見渡す限りの草原だ。どっちを向いても同じ景色だった。太陽の沈む方向と、風の吹きつけてくる向きを頼りに、君のいたはずの方向へと走った。でも、太陽はどんどん沈んで、風はどんどん弱まって、僕は完全に方向を見失った。大声で君を呼んだ。おーい。どこにいるんだ。返事してくれ。大声を出しても、相変わらず無音だった。そしてなにより、僕には、君の名前がわからなかった。暗闇が訪れた。時間は止まった。僕も消えた。熱にやられて、そんな夢を見た。頭が痛い。




2014年5月20日

ブラックホール

『Being at home with Claude ~クロードと一緒に~』無事に終演致しました。

まずはご来場頂きましたみなさま、気にかけて下さったみなさま、

この作品に関わってくれた全ての方々、

本当にありがとうございました。

今回のお話を頂き出演を決めたときも、

台本をもらって最初にひとりで読んだときも、

顔合わせがあって稽古が始まったときも、

もっと言えば稽古場で稽古しているときでさえも、

こんなにも素晴らしい経験になろうとは予想していませんでした。

僕の人生にとって、意味のある、大切な作品になりました。

なので、自分自身を整理するためのメモとして、

そして関わってくれた人たちへの手紙のようなものとして、

今回は長めの文章を書いてみようと思います。

作品の舞台は、とある判事の執務室。

ひとりの男娼が、セックスの最中に若い青年を殺し、その後警察に電話。

判事から鍵を盗み、判事室にいるから来いと呼びつける。

判事はその男娼を金で買っていたようで、

判事のスキャンダルをバラさないことを条件に、無罪になろうとしているらしい。

マスコミまで呼びつけて、警察を追いつめる。

判事がこの部屋に出勤してくるまでの猶予は36時間。

警察は何とかしてその間に男娼の企みを阻止し、逮捕しようと取り調べを始める。

しかし男娼は、殺害そのものは認めるものの、自分の名前は言わない。

被害者の名前は口に出してほしくない。

2人がどうやって出会ったのかも答えないし、なぜ殺害したのかも言わない。

男娼のペースのまま捜査は一向に進まず、残された時間はあと1時間。

その最後の1時間の捜査が、今回の舞台で描かれます。

登場人物は

 ・『彼/イーヴ』…若い青年を殺害した男娼

 ・『刑事/ロバート』…『彼』を取り調べる担当刑事

 ・『速記者/ギィ』…『刑事』とともに捜査を担当

 ・『警護官/ラトレイユ』…判事の執務室の扉を守っている裁判所の職員

の4人。

1時間45分ほどのほとんどが、『彼/イーヴ』と『刑事』のセリフで構成され、

全体の3分の2程度は2人だけのシーンが続く。

僕が演じた役は『速記者/ギィ』。

イーヴに判事室に呼びつけられて、刑事とともに不眠不休で取り調べにあたるが、

実際の取り調べは全て刑事が行う。

速記者は文字通り速記に特化し言葉を発しない。

加えて、この芝居が始まってすぐに、

速記者はイーヴによって判事室から追い出されてしまう。

その後、外からの情報を持ってくる役目として数回舞台に登場。

刑事がイーヴをトイレに行かせている間に、捜査の進展を刑事に報告。

3分の2程度芝居が進んだあたり、イーヴが初めて殺害の動機を話し始めたところで

再び速記を始めるために登場。

ただし、30分以上に及ぶイーヴの告白の間、刑事も速記者も一言も発しない。

つまり、全体の3分の1程度は舞台上にいるものの、

基本的に捜査内容を速記しているだけなので言葉を発しない。

唯一饒舌に喋るところも、

イーヴがいない短い間に急いで捜査内容を報告しているだけで、

戯曲の中に、個人的な会話や情報が全く出てこない。

『速記者』という役名がほぼ全ての情報の役だった。

最初に台本を読んだとき、僕は完全に途方に暮れた。

僕はそもそも、自分の演じる人間の造形や、他の登場人物との関係性をベースに

自分の演技を構築していきたいタイプの俳優だ。

情報を集めて、想像力を働かせて、自分を掘り起こして、

その上で、舞台上で相手役とどう化学反応を起こせるか、に楽しさを見出だす。

ところが今回は、そのための情報がほぼゼロ。

刑事の同僚であり、捜査を速記する人。イーヴの捜査を1日半続けている。

これだけだ。

速記者に関する個人情報はなし。

性格的なものを示すような情報もなし。

刑事との人間関係も不明。

イーヴをどう見ているかも不明。

物語にどう関わり、どう影響を受けているのかが全く読み取れないし、

そもそもそういったことを考えること自体が必要なのかすら疑問だった。

こういう役でも、すぐに肉付けをして見事に演じる俳優はたくさんいるだろう。

でも僕は、明らかにそういうタイプではない。

見た目にインパクトがあるわけでもなく、特殊な芸風をもっているわけでもない。

出てきただけで空気を変えるような俳優ではない。

丁寧に、繊細に、演技することに喜びを覚えるタイプの俳優だ。

そんな僕がこの役を演じることがこの作品にとってプラスなのか。

はたまた僕自身にとってプラスがあるのか。

そもそも僕は、この役を楽しんでやれるのか。

稽古が始まってしばらくの間、このことに日々悩まされ苦しんだ。

ところが稽古が進んで、刑事とイーヴの芝居がだんだん形になってきた頃、

少しずつ楽しさを感じるようになってきた。

彼らが作る世界がぼんやりと浮かび上がってきて、

僕は速記者としてどう関われば面白くなりそうか、またどう関わりたいか、

という、自分発信の欲求が少しずつ生まれてきた。

ある仮説を用意して、稽古場で試してみる。

結果を取捨選択しつつ、さらに要素を加えてみる。

ふたりが作る世界の変化に合わせて、修正をしていく。

客観的な意見を取り入れたり、演出家や共演者と相談をしたりしながら、

方向性を探り、少しずつ形を見つけていった。

その作業は稽古場では終わらなかった。

むしろ最後のほうは、いろいろと試しすぎて混迷を極めた。

しかも、今回はイーヴと刑事がダブルキャスト。

どちらの役も2チームでかなりタイプの違う俳優なので、

稽古の最初から、両チームでの速記者の居方も変えた方が良いかもと何となく思っていた。

ところが、稽古が進むにつれ、

2チームの作る世界の違いは、予想を遥かに超えて大きくなっていった。

何となく雰囲気を変えるとか、そんなことだけでは対応しきれない。

完全に別の人物だと思って考えるぐらいでないとダメだ。

そう思い、同時平行で「2人の」速記者を探しはじめた。

イーヴと刑事の世界がはっきりすればするほど、僕の役も輪郭がはっきりしてくる。

それに合わせて本番期間中も、それぞれの速記者を探し続けた。

結果、それぞれで、僕なりの『速記者』が出来上がったように思う。

ただ、公演は基本的に2チーム交互に進められていったので、

2人の切り替えはとても大変だった。

舞台美術も同じ、セリフも基本的に同じ、やることは基本速記と報告だけなので、

気を抜くと自分が誰なのか分からなくなってしまう。

どっちの世界にいるのか分からなくなってしまう。

身体に染み付いている反応がいつもふたつあり、

その選択を自然に任せると毎回少しずつ混線していくような感じ。

1日3公演の日は頭の中が痺れるような感じになり、うまく歩けなくなった。

不思議な体験だった。

ともかく、そのぐらい、それぞれのチームでまるで違う世界が出来上がった。

同じ台本、同じ演出家のもとで作られたとは思えないほどに。

『彼/イーヴ』=稲葉友、『刑事』=伊達暁のチームは、

正攻法で、演劇的で、積み上げられていて、整っていて、

完成度の高い作品になったと思う。

伊達くんの俳優としての力量、人間性、魅力によって世界が作られ、

そこに、美しくて若い、でも狼のように凶暴な友くんが挑むという構図。

それはそのままでとてもドラマチックだし、戯曲の設定にもピタッとハマる。

僕の課題は、ふたりが作る、その信憑性のある力強い世界に

僕がどう要素を加え、世界を豊かにするか。あるいは、したいか。

基本的には、伊達くん演じる『刑事』との関係性をどのようなものにし、

2人のやり取りを、どのような空気感のものにするかが一番の課題となった。

このことについては周りの人の意見も聞いて、伊達くんともたくさん話し合いをした。

こうしよう、ということはほぼ決めなかった。

稽古をやる中で、距離を縮めて、いろんなことを試し、たくさんのバージョンを作った。

とても健全な稽古が積めたように思う。

その中で、僕という俳優の資質、そして、僕がやりたいと思えること、を加味して

出来上がったのが、本番に乗った「1人目の」速記者だ。

僕がイメージしたのは、ホームズとワトソンみたいな関係。

ピッチャーとキャッチャー。バンドのボーカルとベース。そして、太陽と月。

人を動かすパワーと魅力に溢れ、だけどどこかちょっとワガママな刑事。

その才能を心から認め、彼の弱点を補うために存在する、

冷静で細心で正確さをモットーとする相棒の僕。

主導権はいつでも刑事にあり、僕はいつでもそこに乗っかる。

彼の気分を察しつつ、最高のタイミングで、最高の助けをシンプルに。

彼に乗っかるところは乗っかり、時に乗っからずに手綱を締める。

彼がリズムを作り、僕がそのリズムに乗り、時にはぐらかす。

大切なときには彼に判断を仰いで。

視線のやり取りだけで語り合えることの多さ。

意図を明確に伝えなくても真意が伝わることへの信頼。

小さなことの積み重ねで、何らテキスト上に書かれていないふたりの関係を

浮かび上がらせることができないか。

とても楽しい「共同」作業だった。

最後の30分、刑事と速記者に代表される「大人」の壁に、

稲葉友演じるイーヴは爪を立て、噛みつき、倒せなくて、倒れて、美しく負けていく。

勝ち目はないのに、自分でもそれをはっきり知っているのに、

戦いを挑み続ける小さな狼のように見えた。

そして最後は、闘争心も攻撃力も奪われた、草食動物のようだった。

完敗だったのだ、たぶん。

だけど「大人」も確かに無数の傷を受けて、何かが揺らいだ。

刑事と速記者はたぶんそれぞれに違った傷の受け方をしていて、

鉄壁の相棒コンビの中にも、少しのズレがある。

それは今回の事件に限ったことではないのだろうけれど。

あの芝居が終わったあとの時間、つまりイーヴを逮捕したあと、

刑事と速記者はどんな会話をするのだろうか。

あのふたりは、敢えてイーヴのことについては何も語らないんじゃないか。

何事もなかったように、それぞれの家に帰る。

刑事は奥さんとバカンスに向かう。

速記者はシャワーを浴びて、バーボンを飲みながら本を読んで、寝る。

そして、イーヴが怖がり憎んだ現実に戻る。次の事件に向かう。

でも、数年が経ち、ある事件を解決していきつけのバーで一杯やってるとき、

刑事がポロッと「あいつはどうしてんのかね」とか言ったりする。

当然ふたりともイーヴの事件のことを気にかけ続けているし、

語らないけれども、お互いそのことは分かっている。

速記者はもちろんイーヴのことを密かに気遣い続けていて、彼が集めていた情報を、

的確なタイミングで、繊細なトーンで、シンプルな言葉で、刑事に伝える。

あれから数年の間の、イーヴの人生を。

これが僕の見た、稲葉&伊達チームの世界だった。

伊達くんの芝居はこれまでにもたくさん観てきているけれど、

今回の『刑事』役はその中でも抜群にはまり役だったのではなかろうか。

稽古場からずっと本当に素晴らしく、

僕には思いつかないようなセリフの言い方、動き、解釈が次々出てきて、

稽古を観ているのがとても楽しく刺激的だった。

ふたりのシーンについても、充実したディスカッションの時間をたくさん持てたし、

具体的なアイデアを決めなくても、

こういけばああくる、ああきたからこうする、みたいなセッションが出来た。

呼吸があったときは抜群に面白いことが出来たし、

それぞれのやりたいことの方向性が違って呼吸があわないときは徹底的にあわない。

それもまた、稽古場での醍醐味だった。

同年代の俳優と共演する機会がなかなかない僕にとって、本当に楽しい初共演で。

また別の機会に別の作品で、がっつりと共演してみたい。

関係者各位、よろしくお願い致します(笑)

友くんはとにかく、末恐ろしい21歳だ。

顔合わせの本読みのときは、とにかく「稲葉友すげー」というのが最大の印象で、

完全にノックアウトされた。

台本の読み込みの深さ、的確な初読みが出来るセンス、ナイーブな声、

爆発力のあるエネルギー、そして美しい容姿。

ジュノンボーイ恐るべし。骨の髄まで舞台俳優でした。

負けん気が強くて、甘え上手で、人が好きで、芝居が好きで、純粋で、素直で。

彼はこの暗く重い作品に、不思議な透明感と清潔感を与えた気がする。

稽古場でも、彼のいるおかげで全体が前向きモードになった。

彼の口癖は「あー、もう、今回の座組みたまんねーなー」というもので、

僕はそれを聞くたびに、幸せな気分になった。

千秋楽、演技を終えて袖に入ってきた彼との時間は、一生忘れない。

いつでも勝ち気で冷静な稲葉友が見せた、初めての剥き出しの感情。

これからもなんだか頻繁に会ったりしそうだな。

今度サシ飲みして、芝居の話いっぱいしよう。

でも今度「お父さん」と言ったら殺す(笑)

鈴木ハルニ

『警護官』役は、小劇場枠(?)、ゲキバカ所属の鈴木ハルニくん。

元の台本では、作品の最初の方と中盤にちょこっとだけ登場する役だが、

今回は、最初から最後までずっとドアの前で立っている演出がついた。

しゃべるシーンも、ここだけはアドリブというか、台本にないやり取りも加わり、

暗くて重い作品全体の中で、軽妙に笑いをとって場を和ませてくれた。

1時間45分立ちっぱなしという肉体的に過酷な役で、

しかも僕以上に物語そのものには絡まない、彼のシーンの稽古時間も少ない、中で、

嫌な顔ひとつせず、常に前向きに作品と関わっていた姿は本当に素敵だった。

稽古場でも楽屋でも飲み屋でもいつでも明るく場を盛り上げてくれて、

彼の存在は、舞台上のあの短い時間だけでなく、

今回のプロダクション全体にとって大きかったのではないだろうか。

シングルキャストは僕と彼だけ。

10公演全てを経験したことで、えも言われぬ戦友意識が芽生えた。

きつかったね。

とにかくこのチームは、チームワークが良かったし、呼吸の合い方が半端なかった。

本番直前までみんなでバカな話をして盛り上がり、

舞台上ではみんなの呼吸がぴったりあって、作品全体のグループ感が自然に生まれる。

こういったプロデュース公演で、全員初共演のメンバーということを考えると、

本当に恵まれた組み合わせだったと思う。

稽古から本番まで、とにかく、楽しかった。

ありがとう。

さてようやくもうひとつ。

『彼/イーヴ』=相馬圭祐、『刑事』=伊藤陽佑チーム。

このチームはまず、戯曲の設定とは違い、2人の年齢が近いことが大きな特徴。

たしかふたりは2歳ぐらいしか違わないんじゃなかったかな。

だからどうしたって、稲葉&伊達チームの、大人VS少年のような構図にはならない。

経験値もあいまって、ふたりの刑事が作る世界はまるで違ったものだった。

その中で、僕はどのような関わり方をすることが良いのか、どうしたいのか。

まず最初に思いついたのは、若い刑事とベテラン速記者という関係だった。

例えば、速記者は刑事の父親とずっとコンビを組んでいた。

速記者はその父親から刑事としてのイロハを教わり尊敬していたのだが、

その父親は殉職なり引退なりしてしまう。

恩返しも兼ねて、父親に憧れて刑事になった息子ともコンビを組む。

というような感じの設定。

まだ何者でもない若い刑事の、言ってみれば教育係のような速記者。

基本は厳しく、冷徹に。しかし見放さず。

というのが、稽古場で作った「2人目の」速記者像だった。

でもそれは、劇場に入って大きく変わることになった。

それは、イーヴを演じる相馬圭祐がとんでもない演技を始めたからだった。

もちろん稽古場から良いところはたくさんあった。

セリフが入ったのもすごく早かったし、演技は大胆で、セリフ回しも巧い。

集中力がすごくて、芝居が好きで、努力を惜しまない。

ただ稽古場では、どちらかというと「巧い」「そつない」という感じが強かった。

大きな作品の経験も多いから、見せ方を弁えていて魅力的だな、と。

ところが、劇場に入ってからの通し稽古でいきなり化けた。

セリフや動きに命が宿り、魂がこもり、イーヴがどんどん立ち上がってきた。

彼の中にある、閉まったままだった扉が、いきなり開いてしまったかのように。

芝居のスタートから長ゼリフまでの作り方も稲葉イーヴとは全く違い、

最初からフルスロットル。

言わないことがあるだけで、いつでも嘘はついていない。

言葉にならないことがあるだけで、いつでも分かってもらいたい。

それが、最初から最後まで一貫して貫かれていて、

苦悩するイーヴの世界がオープニングから空間を完全に支配した。

その中で僕が選択したのは、このチームでは対刑事で役作りを決めるのではなく、

対イーヴで考えていこうというものだった。

イーヴの対局にある速記者。

真逆のものを強く信じるふたり。

愛ゆえの殺人を犯したイーヴと、絶対に罪を許さない正義の人である速記者。

言葉にならない感情に翻弄されるイーヴと、

言葉によって世界を切り取ることを生業とする速記者。

劇場での通し稽古を経て、

この対立を僕の中での主軸において、演技を考え直そうと決めた。

ベースとなるのは、罪を犯し、世の中をなめくさっているイーヴに対する怒り。

最初から明らかな形でイーヴに憎しみを向け、彼を追いつめるための挑発をした。

限られた言葉と動きの中でそれを実現するのは難しかったが、

相馬くんが僕の芝居を細かく拾ってくれたおかげで、

小さいけれども力強いモメントが出来上がった。

刑事に対するベースは、自分の憎む犯人を追いつめられないことへのストレス。

そして、自分ほどにこの状況に危機を感じていないことへのいらだち。

その中での捜査報告は、もうひとチームのそれとは全く違うニュアンスになった。

稲葉&伊達チームでは、刑事の主導権の元、

阿吽の呼吸で速記者が乗っかる形にして「相棒」感を強く出したが、

相馬&伊藤チームでは、速記者が主導権を握ることによって、

速記者の正義感の強さや、状況の危機感、焦りというものを強く出そうとした。

ドアの開け閉めの強弱、歩く速度も全て、それを元に変えた。

GPでアドリブで入れたセリフを、本番でもそのまま残したりもした。

そして最後のイーヴの30分に渡る告白の時間もまた、

速記者にとってはまるで違う時間となった。

それまでに信じていたものが全て壊されていく時間。

憎んでいた犯罪者は、心優しき青年だった。

誰よりも愛し愛される喜びを知っていた。

ちょっとしたことに心から喜び、ちょっとしたことに心から傷つく。

孤独と絶望を知っているからこそ、臆病で、献身的で、つねに無私の心を持っている。

速記者もまた深く愛する心を持っているからこそ、正義を愛し、犯罪を憎む人であり、

(だからきっと、こっちのチームでは警護官にも優しくコーヒーをあげたりするんだ)

イーヴの抱える光と闇のどちらをも、感覚として誰よりも理解できる、

少なくとも理解しようと努力する人なのではないか。

ただ速記者は、その感覚を、言葉にすることで理解しようと生きてきた。

言葉に頼って、言葉にすがって生きてきた。

言葉にすることで安心していた。

それが正しく生きることだと「勘違い」していた。

イーヴの魂の叫びが始まってすぐに、速記者はそのことに気づいてしまう。

長ゼリフが始まってまもなく、速記者がドアを開けて入ったとき、

イーブは憎しみと悲しみの入り交じった目で速記者をにらむ。

そして、告白を始める。

最後の最後で加わった、力強いモメントだ。

どれだけ彼が喜びを感じたか、どれだけ彼が淋しかったか、

どれだけ彼がつらい経験をしてきたかを話し始める。

どれだけそのことを知ってほしいか、分かってほしいかが速記者には痛いほどに伝わる。

彼が経験してきたことがどんなことだったかが、手に取るように分かる。

彼の見た景色がどんなものだったかが、目の前に見えるように感じる。

その速記者に、分かってほしくて言葉を尽くし、それでも伝えきれないことに絶望し、

イーヴはいらだちをぶつける。

言葉にすることを頼りに生きてきた速記者に、

言葉では言い表せないものをどう言い表せばいいのか、を問うてくる。

彼がどうやっても答えを見つけることが出来ないいろんな問いを、

答えを知りたくて問うてくる。

最後まで、分かってもらうことを諦めない。

答えを探すことを諦めない。

それが相馬くんの作ったイーヴだった。

速記者は自分の価値観が早々に壊され、

その後、彼からぶつけられる言葉や想いを全部受け止めるしかない。

彼は、彼なりにイーヴの感覚を理解できたのだ。

でも、それを言葉にすることは出来ない。意味もない。

そして、存在意義とも言える「筆」を置く。

これまで言葉に頼ってきた彼は、言葉に頼れない状況の中で、初めての感情を知っていく。

初めての自分を知っていく。戸惑う。怖れる。

イーヴをどうにかして救ってあげたいが、彼にはその方法が見つからない。

かける言葉すら見つけることが出来ない。

ひたすらに無力。

顔を向けることすら出来ない。

そして、ついにイーヴに「諦めたよ」と言わせてしまう。

イーヴを救うことも出来ず、手を差し伸べることすら出来ず、

本心とは裏腹にイーヴを逮捕しなければいけない速記者の絶望と無力感は計り知れず、

こっちのバージョンでは、あの後あの速記者はどうなってしまうんだろう、

ということに興味がいった。

価値観が壊されて、イーヴと出会う前の彼にはもう戻れないはずで。

まず間違いなく、速記者という仕事はすぐに辞めるだろう。

そして、刑務所の中にいるイーヴに、一生会いに行き続けるだろう。

会って話をして、少しでも彼の心の闇を照らしてあげたいと願うけど、

そんなことはもちろん出来ないから、毎回自己嫌悪に陥って苦しむだろう。

偽善者と自分を罵り続けるだろう。

でもきっと、イーヴは速記者と会って話すことを嫌がらないだろう、とか。

1人目の速記者とは全く違う、「2人目の」速記者が出来上がった。

あのイーヴが、イーヴであり同時に相馬圭祐であったのと同様に、

あの速記者は、速記者であり同時に井上裕朗であったように感じる。

とにかく相馬圭祐はとんでもない俳優だった。

僕が今まで出会った俳優の中で、ダントツで、一番好きな俳優。

ダントツで、一番凄いと思う俳優。

興奮して極端な言い方をしているのではなく、本気でそう思う。

彼のセリフは、台本に書かれたセリフじゃないみたいだった。

実際聞こえた言葉はいつも初めて聞く言葉みたいだった。

そして、毎回違った。

うまくいってないところや、流れてしまっているところもあったけど、

終わったあとにそれを伝えると、日々解消されて、どんどんなくなっていった。

行間や言葉と言葉の間に、無数の声にならない声が聞こえてきた。

僕が夢見ている、理想の「演技」だった。

あんなにもダイレクトに、僕の心に響く言葉を投げかけてくる人は初めてで、

彼と対峙することは、俳優として興奮することでもあり、同時にキツいことでもあった。

でも、彼が俳優として今回チャレンジしていたことが、

どれだけ凄くて、どれだけ怖ろしいことなのかが僕には分かるから、

僕もそれを怖がらずに受け止めようと思った。

僕の恐怖なんて、彼が感じている恐怖に比べれば大したことない。

どんなに怖くても、少なくとも僕はいま、一緒に舞台上にいるし、

本当にはひとりじゃないから、もっと怖いところに思い切って行っても大丈夫だよと、

全身全霊でオーラを送った。

それを知ってか知らずか、彼は毎日あの恐怖体験と繰り返し直面し、

前回よりも先へと、更なる恐怖へと、果敢にも立ち向かい続けていった。

孤独と絶望の果てにいってしまった彼を何とか引っ張り戻したくて、

そして彼の勇気を讃えたくて、袖中で毎公演彼をきつく抱きしめた。

ふたりして泣いた。

舞台上での抑えていた感情が身体に凝縮され残ってしまったせいで、

そして、彼の恐怖に立ち向かう勇気に心が震えて、

毎公演、終演後の僕は制御不能な状態になった。

誰かと話が出来るようになるまでにかなり時間が必要だった。

こんな経験、滅多にできるもんじゃない。

俳優として、あの勇気を持てることを心から尊敬するし、嫉妬もする。

彼との出会いが、改めて僕自身が俳優として進むべき道を知る契機になった。

俳優として、迷ったり、絶望したり、嫌悪したりの近年だったが、

あいつがいる限り、希望を捨てず、理想を捨てず、迷わずに自分の道を行ける気がする。

ひとりの人間としても、彼には心底魅了されてしまった。

あれだけの時間を舞台上でともに過ごし、飲み屋でたくさん語らうと、

もう長いこと知っていた親友とか家族とかみたいな人みたいに感じてしまう。

これからも、俳優としても、人としても、ずっと相馬圭祐を追い続けて行きたい。

出会えて、本当に良かった。

そして、何が何でも、また舞台上で出会いたい。

相馬との再共演は、新たに加わった、俳優としての「目標」のひとつだ。

関係者各位、よろしくお願い致します(笑)

さて、長くなりました。

最後に。


古川くん。
時期が来たらまた一緒にやろうね、と約束しあって別れた2年前だったけれど

思いの外、その時期は早く来たね。
引き受けたときは、古川くんとの再タッグが一番の動機だったけど、

最後はそんなことどうでも良くなってた。

それは、今回とても良い現場だったから。
信頼して、委ねてくれてありがとう。
またよろしく。

三宅さん。

今回のこの作品は、プロデューサーである三宅優さんが、

20年ほど前にロンドンで観て魅了され、

いつか日本でも上演したいという夢をもち、

その情熱が20年の時を経ても色あせず実現した企画でした。

三宅さんの情熱のもとに人が集まり、運が集まり、

今回の奇跡のような作品が生まれました。

三宅さんの人柄、そして熱意がこの作品の骨肉となり、

僕たちはその中で安心してこの作品と向き合うことが出来ました。

そして、こんな素晴らしい経験をさせて頂きました。
ふたりで飲んだ夜のことは忘れません。

心からの感謝を。

ありがとうございました。

今回はすぐに切り替えることが出来ないし、する必要がないと思っているので、

しばらく自分を見つめ直す時間を作ります。

といっても、次の稽古が始まるまでの2週間ほどしかないけれど、

生まれ直す準備のための時間を、静かに過ごそうと思います。

次回は7月、吉祥寺シアターにてお会いしましょう。






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